2005年6月4日土曜日

Nifty解約で色々思い出がかけめぐる。


200506045b347d54.jpg1992.7.31から使っていたNiftyの契約解除の申し込みをした。ちょうど13年間契約していたことになるのね。

始めたころは高校1年で2400bpsモデム。
もちろんinternetのイの字も知らない。パソコンはPC9821AS(かPC98DOだったはず)なので486DX33MHzです。モデムはまだ実家にあるはず。連続ダイヤル機能がまだ使い道があるかなと。
xmodemは遅かったな。b-plusを使って初めてマトモな速度になった気がする。インターネットへのメールを知ったのは95年の浪人の時。先輩がXXX@xxx.ac.jpなるものを持っているといっていたので良く分からずNifから送信したら届いた。当時新聞でインターネット、モザイクと良う単語が出ていたが理解できず。アダルト情報が国境を越えてくると良う話もあったので、それでモザイクと言うのかと勘違いもしていた。Niftyのサイエンスフォーラムの方とオフ会に行った時にfjとかの単語を喋っていたのをなんとなく憶えている。企業によっては使っていたのでしょうね。
大学に入った時にサークルのページを作って、2年生に上がってからメールアドレスをもらう。もっぱら大学でメールとネットサーフィン:-)をやったので家のモデムが2400から28.8kに変わったのは結構高学年になってからだ。
大学3年の時、PC-UNIXだと安くて速い環境になると聞いて、CD-ROMドライブを買いPC9821ASにつけて、(当時お世話になった人が沢山いると思いますが)FreeBSD(98)徹底入門を買いFreeBSD 2.2.1を入れた。入れたけど正直、なんだか意味は分からなかったです。インストールから使う部分まで書かれていたのでXまで入れました。まぁ入れても自宅の2400bpsのモデムと繋ぐ事もしないのでそれっきり。そのうちPC9821ASはハード故障で破棄し自作PCになった。
大学4年になると研究室のアカウントが貰えたし自宅はCATV-internet接続にしたのでこのころからNiftyのアカウントはほとんど使っていなかった。前は使わない時は無料だったがいつのころか郵便引き落としは500円手数料を取られるようになっていたので無駄だったかも。
最後は英語のSPAMに埋もれてメールボックスもみなかった。あっでもtelnetさえあればメールが読めたのは便利です。SVC/EUCとかオマジナイしないと駄目ですけど。
Niftyserveさん どうもお世話になりました。
パソコン通信時代、フォーラムで世代や地理的距離を越えて話せたり、オフ会でリアルに会えるという感覚はともて新鮮でした。

1 件のコメント:

  1. 私はじめてプロバイダに契約する時、最初間違えてNIFTYに申し込んじゃったよ。当時パソコン通信しかやってなくて、慌てて今のBIGLOBEに入りなおして、NIFTYはそのまま2年くらい放置してた。
    最初は何が何だかよく分からずに占いとかやってたらすごい金額になった覚えが…。

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