2021年2月9日火曜日

使ってきたスマホ

 スマホが登場して10年以上(iPhone3Gが登場したのが2008年)たつので、忘れないように何を使ったのかまとめておく。

前編のガラケーの話の続き

最初のスマホ(?)は(たぶん)2010年にauのIS01を購入したのが最初かと思う。当時1円祭りというのがあり、それで購入した。キーボードがあるのでtelnet(ssh)端末としてもまぁまぁ使えたのと、画面は大きいのでワンセグとしても便利。

たぶん2012年と思うが2011年にauが初めて取り扱ったiPhoneシリーズである4sを試しに買ってみた。iTunesとの連携は面白かったが、強くいろいろなものをapple社が統制するという仕組みになれず、1年ぐらいで売り飛ばした。

2015年発売のauのURBANO V02が日常的に使っている電話番号を移した最初のスマホ。物理ボタンがついているのが特徴の端末で使いやすかった。

2016年2月にauからmineoにMNPした。2017年の春にURBANOがもっさりになり、ASUS ZenFone 3 Laserをmineoから購入。ちょっとサイズが大きいのと背面が金属でツルツルして落としそうで気になる。結構カメラがいまいちで写真が汚い。2018年5月に充電の不具合が生じて、当時ASUSショップが赤坂にあったので持ち込み修理する。7560円(税込み)。

時期をはっきり覚えていないがWindows10mobileがMSの製品展開として怪しくなってころに安くなったのでトリニティのNuAns NEOを購入。仕事で使うのはWindows10なので、会社支給のモバイルもWindows10mobileに統一出来たら、どんだけ仕事が楽だっただろうか。仕事ではよさげだが私物としては特段活躍することもなく、事実上の買っただけ。毎月パッチが降ってくるのはWindowsだなぁと思ったような。

2019年2月ごろZenFone3LaserがもっさりしてきたのでmineoからASUS Zenfone Max(M1)を購入。思ったより画面が小さいのと相変わらずカメラ性能がいまいち。

2019年4月末にmineoからIIJ mioというかbicSIMにMNPする。その際に同時に買うならHUAWEI Mate 20 liteが10円とか100円とかそんなレベルというので買ってみたら、なかなかいい感じ。パッチもマメにあるし、カメラも悪くない。しいて言うと米国政府のファーウェイ禁止が気になるところか。

使っていたガラケーの思い出

使っていたガラケーを書いておかないと忘れそうなので、書き留めておく。

初めて携帯電話を持ったのは2002年に新入社員として通信会社に入ったとき。たぶん新入社員170人ぐらいで携帯電話を持っていないのは自分ぐらい。ちょうど第3世代携帯電話の出始めで消費者向けには確か第三世代サービスという名称で訴求していたように思う。

社内で割安で提供するという事で購入したのがカシオ製で初めてカメラがついていたA3012CA の青。たぶん2002年の夏ごろに買ったような気がする。丸みがあってかわいい感じで好きだった。

次に買ったのは三洋製のA5503SA。FMラジオが聞けて薄型。折りたたんだまま簡単な操作もできる。当時、端末を18か月ぐらい使うと端末代が安くなるというので買い換えたような気がするので2003年の年末か2004年の春に変えたと思う。この機種は小さくて軽めで使いやすくて長い事使った気がする。

2011年2月に、モバイルwifi欲しさにソニー製のS006に機種変更してみた(機種変した時のblog)。カメラ性能が良いのかと思ったのだが、使い始めると、超もっさりでやってられない。カタログスペック以上にUI/UXが大事と身をもって知った。

S006の次はスマホに変えたので別の記事で。


2021年2月7日日曜日

岩波新書の「マーティン・ルーサー・キング」、「アメリカ黒人の歴史」を読んで

2020年5月から盛り上がっているBLM(Black Lives Matter)運動を受けて公民権運動などを改めて読むかと思い、岩波新書の

を読んでみた。
今までキング牧師の非暴力を知ってはいたが、漠然として非暴力かと思っていた。それが成功への戦略にもとづいて組織的にやっていたという事を初めて知った。曰く、非暴力行動であるから、女性も子供も参加ができる。非暴力デモに対して白人至上主義者たちが暴行を行う。そのような弱者を暴力で排除する事が報道されると白人至上主義の組織内部から良心に耐えかねて崩壊に進む。これを実現するために、罵声を浴びせられても暴力を振るわない訓練や、拘留された際の保釈金を用意する。そして暴力的な対応が想像される地域を狙って行進などを行う。暴力で痛めつけられること自体が目的というか表現としての考えであった事は知らなかったし、死ぬかもしれないという手段を選択するという状況に驚いた。

憲法は平等をうたっているはずが「分離すれども平等」とされ、黒人専用座席などと日常に差別される状況があり、投票するにも識字試験などで言いがかりで黒人の権利を奪いっている状況であると。

闘いの歴史に引き込まれて読んでいった。
バスの後部座席が黒人専用席で前方の白人専用席が混んでくると黒人は立たされる。これを拒否して逮捕された事をきっかけに黒人がバス利用を拒否したバスボイコット運動。学生がカウンターで座り込むシット・イン運動など。そして事あるごとにリンチであったりと黒人が殺されいく状況で体を張って訴えている事に息が詰まる。

アメリカ黒人の歴史の方は、黒人奴隷などの話からして、不条理極まりないもので、なんともやりきれない。19世紀の黒人奴隷逃亡支援の地下鉄道という組織の事も初めて知った。先日のニュースによるとこの地下鉄道の闘志が米国20ドル札の肖像に採用されると言っていた

このような活動が続いている中でBLMという運動が出てくるという事は未だ克服できていない身近な問題であることが改めて認識した。