2005年10月27日木曜日

普天間移設

普天間移設先が沖縄県で良いのだろうか。1995年の少女暴行事件、そして1995.10.21県民総決起大会は何だったんだろう。くしくも10年が経っている。


太田知事の妥協しない姿勢からあくまで政治的な妥協を現実的だとした稲嶺知事に変わってどうだたのだろう。
中央-東京-は遠い場所、沖縄をなだめて結局押しつけただけではないのか。なんらヤマトンチュとウチナンチュの間に生命の保証に対する享受がこれほどまでに違うのか。
ゴザ市の市長をつとめた大山 朝常氏の沖縄独立宣言で訴えたことは何も変わっていないではないか。
残念ながら、ただただ失われた10年と感じてしまう。

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